西高伝 あらい太朗さん 後編

卒業してからも、西高との縁は続く

あらい太朗さん(漫画家、ラジオパーソナリティ)

メッセージを依頼したつもりだったが、本格的なイラストを描いていただくことに。ありがとうございました。

 現在活躍する大宮西高卒業生の素顔に迫っていくシリーズ「西高伝」。2回目は引き続き、漫画家、ラジオのパーソナリティなど、多方面で活躍している、あらい太朗さんだ。西高卒業してから現在に至るまでの軌跡をお聞きした。

西高気質」を作曲

 高校卒業後も、あらいさんと西高との関わりは続く。卒業後しばらくして「西高気質(にしこうかたぎ)」という吹奏楽曲を書いている。「長いマーチを書いたんですよ。途中、 西高の校歌をアレンジして入れてるんです」。 よく聞けば、そこは大宮西高の校歌と分かるそうだ。当時書き起こした楽譜はすべて手書き。何度か、吹奏楽部の定期演奏会で演奏されたという。この譜面、今も吹奏楽部のどこかに残っているのだろうか。どのような楽曲か、聴いてみたい。 「THE NOISE」という吹奏楽団を立ち上げたのも、当時のあらいさんだった。当初は大宮西高吹奏楽部のOBバンドという位置づけ。初回の演奏会を大宮市民会館(現在のさいたま市民会館おおみや)で行っている。演奏会にあたり、当時の大宮市長(新藤享弘氏)に招待状を送った。当日、市長は公務で来ることはできなかったが、オレンジジュースの差し入れをいただいたそうだ。それを縁に、あらいさんは演奏会のたびに招待状を送り、 市長も公務が空いているときは足を運んでくれるようになったという。

 充実したプライベートが続く反面、仕事の調子が良いとは言えなかった。務めていた会 社が立ち行かなくなり、退職を決意。次の職は決めていなかった。音楽活動もやめざるを 得ない。その頃のあらいさんは、すでに結婚して長男が生まれていた。悩んだ末「漫画家 になりたい……」そう夫人に打ち明ける。夫人は、しばし絶句したという。 最初は戸惑っていた夫人も「私がパートに出るから」と、あらいさんの背中を押した。 かくして、家事と子育ての「主夫」兼漫画家 としての生活が始まる。2ヶ月かけ、4コマ漫画を約120本を書き上げ、持ち込んだ。 ある出版社で、編集長に「今、何やってる の?」と聞かれた。夫人がパートに出て、自分は子育てをしながら漫画を描いていることを告げると「それを描けば良いじゃないか」。 準備した漫画はすべてボツとなったが、私生活そのままの作品「やんちゃ君」が、当時の雑誌「まんがタイム」で連載スタートするきっかけになったという。

必然的に ”受け継がれる”ものを 

 現在は漫画家でありながら、定期的な演奏会を開催するなど、音楽家の顔も持つ。また ラジオ(NACK5)でパーソナリティを務めるなど、多方面で活躍するあらいさん。最後に、西高から新しい学校に、引き継ぎたい思いを聞いてみると、「特になし、ですね」と あっさり。もはや西高への思いは薄れたのか 決してそうではない。「根付いているもの は、必然的に引き継がれると思うんですよ」 それこそが伝統であるというのが、あらいさ ん流の考えだ。あえて方策を整え引き継ぐのも不自然だし、まして押し付けることもない。 卒業後も通い、楽曲まで残した学び舎がなくなることに、一抹の寂しさを感じつつも「新しく生まれ変わるということですからね」。 最後に前向きな言葉をいただいた。(聞き手:柿沼)



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