西高伝 山田守男さん

世代を超え、現役へ注ぐ熱い思い

山田守男さん
猛暑の中、取材に応じてくれた山田守男さん。視線の先には現役野球部の姿があった。

 取材時は2018年8月。まだ暑い日差しが照り付ける夏休み中、グラウンドで野球部の練習に視線を注ぐ1人の男性がいた。男性は山田守男さん。大宮西高校第1期生の一人。そして、大宮西高創立当初から立ち上がった部活動の一 つ、野球部の伝統も培った一人でもある。 今回の大宮西高伝では、在校当時は野球部のキャプテンを務め、 現在は、野球部OB会会長の山田守男さんに話をうかがった。

入学後、西高とともに転々と

 山田さんは大宮西高(当時は埼玉県大宮市立高等学校)が創立した1962年に入学してい る。あえて当時の新設校を選んだきっかけは何だったのだろう。山田さんによれば、当 時、偏差値という指標はなく、中学生の頃にアチーブメントテストと呼ばれる学力テスト を受験。この結果で受験する高校が選別された。志望校の選択も時代を映す。 山田さんが入学した頃の大宮西高は「最初は日進の自衛隊(の場所)だったんですよ」。遠くを見つめるように、山田さんは歴史の一端を語り始める。 山田さんの記憶によれば、当時の校舎は4つの教室と職員室があるくらいで、「もともと化学学校だったところを西高の校舎として使ったんです」。そのため、自衛隊員と同様に、自衛隊の門をくぐって登下校していた。 その後、山田さんが高校2年生のときには、現在の桜木小学校の場所へ。3年生のと きには、現在の三橋中学校の場所へと、大宮西高は毎年のように移転を繰り返した。

野球部の始まりに 懸けた思い

 ところで、山田さんが所属した野球部はいつ頃から活動していたのだろうか。答えは、 創立当初からだという。「グラウンドはないけれど(野球部を)作ったんです」。山田さんたち当時の野球部は、学校が移転を繰り返しながらも、近隣のグラウンドを借りるなどして練習に励んだ。 「下手だったけど」と山田さんは前置きしつつ、野球好きな者同士が集まっていたという当時の野球部。キャプテンを務めた山田さんは、時に仲間に厳しく接することもあったと語る。努力は実り、2年目の春には見事、 県大会ベスト8の成績をおさめた。山田さんは「仲間がついてきてくれました」とチームメイトへ思いを馳せた。 山田さんは卒業後、仕事のため、長らく西高からも、野球からも離れていた。だが、自身が50代に入り、西高野球部の活躍を聞くにつれ、再びグラウンドに足を運ぶようになる。野球部OBによる、マスターズ甲子園出場にも貢献した。

部員がいる限り、 続く野球部

 以来、現役野球部が公式戦出場のたび、欠かさず新聞紙面をチェックしていた山田さん。トーナメント表を見れば、勝敗を鉛筆でなぞりながら応援するのが、習慣となっていた。ところが、昨夏に発表された新人戦のトーナメント表に肩を落としたという。見返しても、大宮西の名前がない。3年生の引退に伴い、出場選手がそろわないためだった。 それでも山田さんはグラウンドに足を運ぶ。1人残った現役生が白球を追う姿に、熱い視線が注がれていた。

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