西高伝 大越憲和さん 前編

野球部を通して学んだ仲間の大切さ

大越憲和さん(寿司店店主)

高校時代を語る大越さん。仕込みと接客の合間を縫って取材に応じてくれた。

 その店の名は「大寿司(ひろずし)」。繁華街に面した店ではないが、埼玉県で一番良いネタが集まることで知られ、県外から足を運ぶ常連も少なくないという。表にかかる屋号の入ったのれんをくぐると、奥から張りのある声に出迎えられた。 活躍する大宮西高卒業生に迫る大宮西高伝。今回は寿司店店主、大越憲和さんに、高校時代を振り返っていただいた。

先輩に誘われた 「大宮西高」

 野球部に所属していた中学時代の大越さんには、尊敬する先輩がいた。その先輩は大宮西高に進学。大越さんが進路を考える頃になると「良い学校だから、オマエも来いよ」と 誘われた。実は、浦和南高校への進学を考えていた大越さん。しかし当時、浦和南には軟式野球部しかなかったため、迷いがあった。そこに野球部でつながる先輩から声が掛かり、それならばと大宮西高に狙いを定める。 それと、と大越さんは続けた。「姉が私立の学校にに通っていたので、自分は学費が安い、市立の方が良いだろうという思いもありました」。中学生の頃から、家族を気遣う一面を持っていたようだ。 大宮西高に入学すると、もちろん中学時代の先輩の後を追い、野球部に入部。「やっぱり野球部ですから、どうしても部活が中心の高校生活になりますよね」大越さんは頭をかき、目を細める。外野の守備位置を流動的に担い、最後には副キャプテンを務め上げた自身の姿を思い出したように見えた。

厳しくも、チームの 大切さを教わる

 しかしながら、野球部では順風満帆とはいかなかった。「なにしろ、ケガが多かったん ですよ」大越さんは苦笑する。「骨折もしたし、靭帯を伸ばしたり、ひと通りやりました ね」。練習もキツイが、治療とリハビリで練習できない状況はもっとキツイ。それで何度 か、部活を辞めようと思ったこともあったそうだ。その頃を振り返り、大越さんは「け ど、辞めなくて良かったですね」静かに語った。 当時、野球部の監督は体育科の鈴木先生が務めていた。「鈴木監督は、厳しかったですね」大越さんは再び目を細めて続ける。「厳しかったですけど、3年間、チームの大切さを教わりました」。 ところで、大宮西高野球部OBは例年、マスターズ甲子園に挑んでいる。このマスターズ甲子園とは、かつての高校球児が再び甲子園を目指すものだ。大越さんも、仕事の合間を縫って参加する。大越さんから見て「10歳くらい上の先輩たちから、10歳くらい下の後輩たちが今のチームメイトです」。こうした活動も仲間あってのことと振り返る大越さん。その言葉に、監督の教えをのぞかせた。

進路の選択と 恩師の言葉

 高校も2年生の後半を過ぎれば、部活ばかりとはいかなくなる。周囲が進学を検討する 中、大越さんには焦りがあった。̶̶みんな と同じように進学したい。けど、本当に自分 が進みたい道だろうか。 そんな状況を察してか、当時担任だった岡田先生が三者面談の席で諭してくれた。「学歴がすべてじゃないと、お父さんの後を継いで寿司屋になれるなら良いじゃないかと言ってくれたんです」。大宮西高では先生にも恵まれたと、大越さんは言葉に感謝を込めた。 (次回へ続く)

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