西高伝 大越憲和 後編


友人、お客、人に恵まれ歩む代替わり

大越 憲和さん(寿司店店主)

カウンター越しに笑顔の絶えない大越さん。店を継いだ頃は高校時代の友人にも「ずいぶん助けられた」と語る。

「引退後」に 自由を謳歌

  恩師の助言から、家業を継いで寿司職人の道を歩もうと決めた大越さん。高校3年の夏で野球部を引退すると、その後は「楽でした」と笑う。「仲間は、本格的に受験シーズンに入るわけですけど、僕は就職ですから」 「卒業してから就職で必要になるので、原付の免許を取りに行ったりもしてました」。 放課後は教習所へ通うため、時に原付用のヘルメットを抱えて登校したこともあったそうだ。「本当はそんなモノ持って来ちゃいけなかったんでしょうけど、先生たちは黙認してくれてました」。当時、原付やバイクの免許を取るにも学校の許可が必要だっただけに、大越さんは先生方の理解に支えられたと感謝をにじませる。 学校行事では、高校3年の文化祭が印象深かったようだ。「クラスでアイスクリーム屋さんをやったんですよ。盛り上がりましたね」。それまで野球部一色だった大越さんも、このときのクラス全員の一体感は忘れられないと遠くを見つめた。

マニュアルのない 修業時代

  高校卒業後、大越さんは銀座の寿司店に就職する。いわゆる外食チェーン店ではないからマニュアルはなく、見聞きしたことを身体に叩き込む、文字取りの修業時代を過ごした。「最初は本当に下働きですよね。掃除だったり、先輩が作る賄いの手伝いだったり」。休日も「自分で魚を買ってさばいたり、友人の料亭に手伝いにも行きました」。 何年間修行をしたから寿司を握れるという世界ではない。親方に仕事ぶりを認められて、初めてカウンターに立つことが許される。さらに、親方の握った寿司しか食べないという常連も少なくない。それでも「『お前が握れ』と言ってくれる方もいて、そういう方に助けられました」大越さん振り返る。野球部仕込みの張りのある挨拶を気に入ってくれたお客さんもいたそうだ。意外なところで 野球部の経験が役立ったと大越さんは笑う。 そんな修行も8年を迎えたある日、突然、お父さんが倒れたと連絡が入る。一命は取り留めたものの、寿司が握れる身体には戻らないお父さんに、大越さんは実家の寿司店を継ぐ決心を固めた。今から20年ほど前のことだ。

世代交代、 「良さ」を活かして

  店を継いだばかりの頃は「離れていくお客さんもいました」。一方で「未熟な頃から見守ってくれてる方もいます」良いお客さんに恵まれたと目を細める大越さん。「代替わり」する母校に何を思うのか。「西高は自由だけど規律は守れる節度がありました」そこは良かったとしつつ、新校にも「全国から注目される存在になれば」と期待を込める。 取材終盤、「最後に良いですか」と大越さん。「目標はマスターズで甲子園出場です」 大宮西高野球部OBとして熱く締めくくった。

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