西高伝 丸山薫さん 前編
友人と、先生方に恵まれた高校生活
丸山薫さん(ピアニスト)
在校生へのメッセージはドイツ語で綴ってくれた(詳細は次号にて)ピアニストの丸山さんは、2018年9月の西高祭で演奏を披露。単身ドイ ツに渡り20年以上、現地で活躍を続けてきた実力に、来場者からは、大きな反響が寄せられた。5歳からピアノを習い、小学生でピアニストを志した丸山さん。 なぜ大宮西高を選んだのか。西高時代はどんな生徒だったのか。当時を振り返ってもらった。
願書提出 1ヶ月前の決断
中学時代の丸山さんは、授業が終わるとピアノはもちろん、音楽理論など、いくつもの
レッスンに通っていたという。ハードな日々をこなしていたのは、理由があった。東京藝術大学附属高校へ進路を決めていたからだ。
しかし、試験の結果は不合格。私立高校の推薦枠もあったが、ピアノを優先的に続けられる、自由のきく学校はないかと案じていたところ、大宮西高が目に留まる。それは願書提出の1ヶ月前のこと。それまで5教科で受験す
ることなど想定していなかったため、この時ばかりはピアノを休んで勉強したそうだ。
西高時代は 演奏の「糧」に
「すごく好きだった!充実した学校生活だったんですよ」高校時代を語る丸山さんの表情は明るい。「結果的に(東京藝術大学)付属高校に行かなくて良かったと思ってるんです」。10代後半を音楽とは無縁の友人と先生方の理解に恵まれ、普通科の生徒として過ごせたことは、現在の演奏活動に生きているからだと丸山さんは語る。興味深いことに、ピアノの演奏は、ただ楽譜に書かれた通りに弾けば良いわけではないそうだ。「ピアノと譜面は、役者さんと台本の関係に似ていると思います」。台本に書かれた台詞は、役者の解釈を通して表現される。音楽も同じで、奏者が楽曲を解釈するには、経験に基づく様々な感情を知らなければ表現できないという。
西高での3年間は「感情の引き出し」を作る上で、丸山さんの大きなアドバンテージとなったようだ。事実、高校3年時の丸山さんは、埼玉県ピアノコンクール(現・彩の国埼玉ピアノコンクール)高校生の部にて見事、
1位金賞に輝いている。
いざ本命へ リベンジ狙うも
高校卒業後の進路は東京藝術大学へと決めていた。その入試当日は西高の卒業式と重な
り、丸山さんは卒業式に出席できなかった。
仲間と別れの挨拶を交わせなかったことは、
高校時代、唯一の心残りだったと振り返る。
残念なことに東京藝術大学への入学は叶わなかった。一浪の末、再び同大学を受験。し
かし、またも不合格。二浪はできないと、私立音大へ行くことにした。「結局、縁がなかったんですよね」と丸山さんは苦笑する。
私立の音大に通い始めてしばらくして、丸山さんはある違和感を募せていた。それは
「ぬるま湯に浸かっている」という焦燥感。
だが、居心地の良さもある。「このままでも
良いかな」そう思いかけていた。(次号へ)
丸山薫さん後編→https://thanksomiyawest.blogspot.com/2019/06/blog-post_50.html
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