西高伝 あらい太朗さん 前編
好きなことに明け暮れた、西高時代
あらい太朗さん(漫画家、ラジオパーソナリティ)
直筆のひと言メッセージを掲げるあらいさん。「西高気質」は、ご自身が作曲した吹奏楽曲に由来する。
“漫研”に入りたいと
大宮西高へ
高校受験を控えた中学時代、あらいさんが大宮西高を選んだのは、明確な理由があった
という。それは「漫画同好会(当時)があった高校が、この地域では西高しかなかったか
ら」。「もちろん学力と照らして(見合ったところ)という前提はありますよ」。笑顔が
こぼれた。 小さい頃から絵を描くことが好きだったというあらいさん。なるほど、今の職業に通じるルーツは漫画同好会で培われたのだろうか。実はあらいさん。高校入学前の中学3年間は、吹奏楽部でトロンボーンを吹いていたという。その縁もあって、西高に入学後、吹奏楽部から声がかかる。同級生の神田くんと見学に行くと、経験者で、しかも不足している男子部員と言うこともあり、先輩からの熱烈な勧誘を受ける。根負けしたあらいさんは、
漫画同好会との「兼部」を条件に入部することにした。
“漫研”入部も、 吹奏楽の道へ
あらいさんに付き添った神田くんも、先輩からの誘いの声がかかる。神田くんは「付き
添いに来ただけ」と頑なだったが、「もし、やるとしたらどの楽器?」という先輩の問い
に「トランペット」と答えたことで、なし崩し的に吹奏楽部への入部が決まったそうだ。 「今でも、たまに吹いてるんじゃないかなぁ」。3年間、同じ部活で過ごした友人に
思いをはせた。 あらいさんは約束通り、しばらくは吹奏楽部と漫画同好会を掛け持ったものの、ぞれぞれの部活で、発表会に向けて本格的な活動が進むにつれ、「このままだと、ついてこられないかもしれない」と、どちらの部活の先輩からも、やんわりと「一本化」を迫られる。
結果、吹奏楽部に絞って活動を続けたそうだ。 それでも、あらいさんは絵を描くことはやめてしまったわけではないようだ。休み時間の黒板や、授業中の教科書やノート隅に、先生の似顔絵を描いていたという。絵に関しては、自主的な活動を続けていたということだろう。自身は目立たない生徒だったと語る、
あらいさん。良くも悪くも絵を通じて、先生たちに顔を覚えられていたと苦笑する。絵も音楽も、とにかく好きなことに明け暮れた、のびのびと充実した高校生活が伝わってきた。(次回へ続く)
コメント
コメントを投稿